昔から続く日本人の美肌好き
昔から「肌の白いは七難隠す」と言われてきたほど白い肌を良いとしてきています。
今でも美肌のポイントとして白さは外せないものです。
このように色が白いことが良しとされてきたのには歴史的な背景もあります。
なぜこのように日本人にとって白い肌が美しいものとされてきたのかを考えてみましょう。
日本人の肌の白さを意識したルーツは飛鳥時代
日本人が白い肌を美しいと意識するようになったのは飛鳥時代や奈良時代がスタートと言われています。
この頃、仏教が日本に伝来したのと合わせて白粉での化粧が伝わったのです。
そこで、白い粉を使っての化粧というのは上流階級だけが楽しめるステータスの一つとなり、文化が根付いていくのです。
特に平安時代は貴族文化脳時代ですからその特徴はより深く根付きます。
この後の武家社会まで、白い肌をしているのは貴族や武家階級の女性の特権であり、心得、身分の象徴として定着をするのです。
それが江戸時代には町人文化へと変わっていきます。
そうなると化粧も庶民に普及していき、特権階級だけがしていた白い肌の化粧と言うというのは多くの人がおしゃれとして当然のスタイルへと変化をします。
こうして白い肌は一般に定着をするのです。
白い肌の文化が転換期を迎える近代
江戸から明治、大正、昭和という時代は社会的にも激動の時代です。
その中でも白い肌は大きな歴史的な転換期を迎えています。
明治以降日本では鎖国がとかれたことでたくさんの外国の文化が入ってきます。
特に欧米の美容文化を受けて白い肌の化粧というのは今までのような白い粉でのものではなく自然なものへと変わっていき、今でいうナチュラルメイクが定番化したのです。
特に大正時代は女性が社会進出した時代です。
社会進出することで、人前に出る際にメイクをするのがマナーという風潮に変わったと同時にメイクは自己表現の手段になります。
そうして戦後からはメイクを自己表現の手段とするためにたくさんの流行を生み出すことになります。
例えば昭和20年代はアメリカ文化への憧れからツヤや輝きのある肌を目指した「光化粧」というものが流行しますし昭和30年代はより豊かな生活への憧れを示したピンク色の肌が流行します。
途中では夏の日焼けが健康的ということで小麦肌メイクも流行しました。
しかし、日焼けによって紫外線の肌ダメージがあることがわかり、多くの人は美肌は白さが重要という考えに戻っていきます。
最近では医療技術が発展するにつれて自身の細胞を使ってアンチエイジング治療をすることで白い肌を保つこともできるようになりました。
トレンドは透明感やツヤといったものと潤い、キメも整っていることが重要となっており、白さと整っている肌を両立させることが重要という考えになっています。
肌の白さが大事といわれた頃のメイクで白くするのではなく内側から白く輝く肌を作ろうという思想に変化しているのです。